こちら、ご覧いただきありがとうございます。
今日の退職の瞬間は、男性 金融系SIer (孫請以下) K.S さんの退職の瞬間です。
退職時の状況
年齢:20代 性別:男性 退職時の肩書き:金融系Sler(孫請以下) プログラマー 退職時の年収: 240万 現場:証券取引システム開発
目次
1:退職を決めた瞬間
2:退職後の状況
3:この記事みた同じ悩みを持つ方へアドバイス
目次
Contents
1:退職を決めた瞬間
比較的新しい会社で、以前にも似たような業態の会社を立ち上げては消滅してきたと語る社長の元、証券取引システムの保守・開発に携わっていました。 開発規模は非常に大規模で、孫請け以下にあたるポジションでした。 信頼を勝ち取る段階の会社であり、当時はまだ従業員数30名程度でした。 まず開発では、仕様変更が相次ぎ、結局は他証券会社の取引ツールと 似たようなインターフェースに落ち着くといったことが繰り返されていました。 それに加えて、金融系のITエンジニアなら共感していただけると思うのですが、 保守となると、どんなことがあっても対応しなければならなくなります。 当時はボーナスなし、 退職金制度なし 残業代が一定時間給与に含まれるみなし残業(逆にいうと、一定の支払いで残業させ放題) が 労働契約になっていました。 2010年代初頭の頃で、まだ深夜残業は当たり前。 昨今の銀行のシステム障害ではわかるように、 日本の金融系のシステム現場はシステム理解のない上層部が、 理解のない仕様変更・精神論の納期合わせで、 エンジニアが命を削ってシステムを作り上げるという、ことが当時から、今この瞬間まで行われています。
2:その瞬間が訪れるまで
土日出勤もありましたが残業代や休日出勤代はありませんでした。 社長ら社員さんたちは悪い人ではなく、 「今は信頼を勝ち取る時期だから」とひたすら謝られたのを覚えています。 そんな状況の中で退職を決めた瞬間は、 疲労と睡眠不足と人間関係のストレスから将来を絶望視するようになりました。 「将来ずっとこうなのか」 毎日、朝から深夜までプログラムを作成しても結局は月末や突発的な顧客会議でひっくり返されます。 同じく突発的に舞い込んでくるインシデント対応の中で、限界を感じ始めます。 過労・睡眠・ストレス・将来の行き詰まりがMAXで入り混じって、その瞬間がきました。
3:退職後の状況
結局は、IT系の仕事について働いていますが、もうプログラマはやっていません。 今は地元に帰って比較的時間や心に余裕を持った働き方ができています。
4:この記事にたどり着いた方へ
もう知っていらっしゃると思いますが、 また、今年(2021年)2月末のメガバンクの障害でわかるように、 日本の伝統的な会社は、システムというものを軽視しており、基本的に無知です。 2000年代で起きた障害を繰り返しています。 2000年代から時間が止まっている、と言えます。実際止まっていました。 私が退職したのは、エンジニア、プログラマーとしての適性がなかった部分もあります。 ただ、無知で、時が止まったお客様のために、命を削ってシステムを作る現場が、 そもそも私自身に合わなかった、とも感じています。 もし、 あなたが命(ライフ)を削って作っていたとしたら、ライフ=0 になるまでに、リリースできますか? ライフ=0になったとしたら、会社や、現場プロパーさんは、あなたの家族を一生安泰にしてくれるのでしょうか? この記事にたどり着いたということは、過去の僕と変わらない状況だと思います。 現場のインシデントに流されるのではなく、自分の意思で決めてください。 少なくともその位置決定に失敗はありません。成功とは限りませんが。